園児だったころの私 2

前回、せっかちで「思いついたらすぐ行動したくなる」「したいと思ったら我慢できない」話を書いていて、更に思い出したことがある

母が買い物に行くとき声をかけられた私は、玄関に行き靴を履くと母が来てくれるまで

「おかあさぁぁん早く行こーー!」と壊れた機械のように呼び続けていたが

それすら待てない日も多々あった

ある日、やっぱり母が来るまで待てなかった私は

「お母さーん!先に下に降りて自転車のとこで待ってるね!」

と言って、当時住んでいた古いマンションのコンクリートの階段をかけおり、案の定つまづいた

まあまあな勢いで階段を転がり落ち、大泣きする私の声にびっくりし走ってくる母

私はおでこが切れていて血まみれ 笑

病院にかつぎこまれて何針か縫う事態になった

幼いながらも焦ってひとりで先に行くのは危ない、と学習した私

なのに現在、私のおでこには同じ場所にふたつの傷跡がある

なぜか?

懲りずにまたひとりで先に行き、硬いコンクリートの階段をかけおり、同じ所で同じようにつまづき、転がり落ちたからである 笑

もうあほですね、としか言いようがない

もし、これが現代の話だったなら

母は私の「何か」の存在に気づいただろうか

「おっちょこちょい」「せっかち」「どんくさい」で片づけず

どこかに相談しただろうか

いや、きっとやっぱり気づかないままで、ニコニコと一生懸命に私を育てたんだろうな

現在、私は母にも父にも自分の発達障害のことは話していない

変に罪悪感を持たれても嫌だし、傷つけたくないから

あの世代の人には理解できないだろうな、とも思うし、

何よりこのまま、いい人生だったな、子どもも健康に育ったし幸せだな、って思って生きてほしい

長女を赤ちゃんの時に病気で亡くした両親には、もう悲しい気持ちにはなってほしくないなぁと思うのだ

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