前回、せっかちで「思いついたらすぐ行動したくなる」「したいと思ったら我慢できない」話を書いていて、更に思い出したことがある
母が買い物に行くとき声をかけられた私は、玄関に行き靴を履くと母が来てくれるまで
「おかあさぁぁん早く行こーー!」と壊れた機械のように呼び続けていたが
それすら待てない日も多々あった
ある日、やっぱり母が来るまで待てなかった私は
「お母さーん!先に下に降りて自転車のとこで待ってるね!」
と言って、当時住んでいた古いマンションのコンクリートの階段をかけおり、案の定つまづいた
まあまあな勢いで階段を転がり落ち、大泣きする私の声にびっくりし走ってくる母
私はおでこが切れていて血まみれ 笑
病院にかつぎこまれて何針か縫う事態になった
幼いながらも焦ってひとりで先に行くのは危ない、と学習した私
なのに現在、私のおでこには同じ場所にふたつの傷跡がある
なぜか?
懲りずにまたひとりで先に行き、硬いコンクリートの階段をかけおり、同じ所で同じようにつまづき、転がり落ちたからである 笑
もうあほですね、としか言いようがない
もし、これが現代の話だったなら
母は私の「何か」の存在に気づいただろうか
「おっちょこちょい」「せっかち」「どんくさい」で片づけず
どこかに相談しただろうか
いや、きっとやっぱり気づかないままで、ニコニコと一生懸命に私を育てたんだろうな
現在、私は母にも父にも自分の発達障害のことは話していない
変に罪悪感を持たれても嫌だし、傷つけたくないから
あの世代の人には理解できないだろうな、とも思うし、
何よりこのまま、いい人生だったな、子どもも健康に育ったし幸せだな、って思って生きてほしい
長女を赤ちゃんの時に病気で亡くした両親には、もう悲しい気持ちにはなってほしくないなぁと思うのだ
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